22年の節目、我が家のバイリンガル育児をふりかえる

※バイリンガル育児については正解はありません。それぞれのお子さんによって違います。ここでは私の個人的な経験と見解を書いています。※

海外で子どもを日本語と現地語のバイリンガルとして育てるのは、確かに大変なことです。
言葉や文化の違いを乗り越えるために、親としてはどちらの言語も大切に育てることができるか不安に感じることがよくあります。

今回、我が家のバイリンガル育児の経験を振り返って、これからお話ししようと思ったのは、22歳の娘がバイリンガルとしての成長を一つの節目を迎えたからです。

娘がカナダの大学の交換留学制度を使って、日本の大学に自分の意志で一年間留学することを決めたことが、大きな転機でした。

高校生の頃、私は娘に「日本で日本語を勉強するとか、アルバイトしてみたら?」と言ったことがあります。
その時、娘は「日本は好きだから旅行はしたい。でも日本で勉強したりアルバイトしたりするつもりはない。」と言っていました。
その言葉を聞いて、ちょっと残念だなと思ったのですが、留学は本人の気持ちが大事だと思い、その時は無理に勧めることはしませんでした。

娘は幼稚園から小学校6年生まで、毎週土曜日に日本語補習授業校に通い、日本語で勉強していました。
授業では、日本の教科書を使って国語や算数、理科、社会などを学び、たくさんの日本語の本を読んだり、書いたり、友達と日本語で遊んだりしていました。
宿題もたくさん出て、宿題をするのがとても大変でした。
カナダの友達たちは土曜日が休みで遊んでいるのに、自分だけ日本語学校で勉強しなければならないことに、娘は少し戸惑いを感じていたのかもしれません。
特に、土曜日にカナダ人の友達の誕生日パーティーに招待されたときは、そのパーティーを優先して参加させることにしていました。
しかし、6年生の時に補習校が何らかの理由で閉校になり、それ以降、日本語の勉強の機会が少なくなりました。
また、毎週土曜日に補習校に通うことが、子どもにとって負担に感じることも多かったと思います。
娘も週末に勉強することに少し疲れていたのかもしれません。
小学6年生まで一生懸命勉強してきたので、高校生の時には「日本に行ってまで日本語の勉強をしたい」という気持ちにはならなかったのだろうと思います。

ところが、カナダの大学に入ってから、日本語の選択科目があることを知り、「ちょっと受けてみようかな?」という気持ちになったようで、日本語のコースを受けることにしました。
また、時々日本語学校でボランティアをしたり、大学内の日系サークルに参加したり、日本人留学生たちと交流しているうちに、少しずつ日本への興味が湧いてきたようです。
気づけば、娘の気持ちが少しずつ変わっているのを感じました。
最初は全く興味がなかった「日本語の勉強」が、大学生活の中で新たな魅力を持ち始め、「日本語を学びたい」という気持ちが芽生えたのでしょう。

ある日、娘が「大学の交換留学制度を使って、日本に留学してみようかな」と言い出しました。
「留学の説明会に行ってくるね」「留学に申し込んできたよ」と、まるで自分の気持ちに確信が持てたように話してくれました。
最初は「半年だけ行ってくる」と言っていたものの、日本での生活が始まると、すぐに「やっぱり、留学は一年間しようかな」と、どんどん意欲が高まっていったようです。

最初は全く考えていなかった留学の話が、娘自身の選択として現実になったことに、私は驚きとともに、娘の成長を感じました。
日本での留学が始まり、彼女がどんどん自信を持って新しい経験を積んでいく姿を見守ることができ、とても嬉しく思っています。

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